「もしもし。お前、誰だ?」
柴又に電話した寅さん。受話器を取ったあけみに聞く。
5年ぶりに再訪したが、茶店は閉まっていて工事が行われていた。
ロケ地保存度☆☆☆
山口県下関市長府宮の内町1-18
2016年7月訪問
旅先から柴又に電話する寅さん。
「おいおい稼ぎながらそっちへ向かうよ」
寅さんが電話をしたのは山口県下関市の忌宮(いみのみや)神社。
しかしこの後、寅さんは東京とは逆方向の九州へと旅を続けることになる。
郵便ポストはなく茶店も閉まっていた。
※本編より右側が少し切れています。
ロケ地保存度☆☆☆
山口県下関市長府宮の内町1-18
2011年8月訪問
5年ぶりに再訪して本編アングルで再撮影した。
【参考】
ちなみに寅さんが電話している際に後ろに移っている郵便ポストは少し移動していたが、きちんと残っていた。
石塔と海を行く船。汽笛の音。
赤間神宮のシーンの前に映るインサートカットは、赤間神宮前の関門海峡に面した場所で撮影。
ロケ地保存度☆☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
神社の鳥居と赤い門。
赤間神宮を関門海峡側から撮影。
壇ノ浦の戦いで幼くして亡くなった安徳天皇を祀る。
現在は木々が生い茂り、赤い水天門は見えづらくなっている。
ロケ地保存度☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
「どお?おばあちゃん、お土産に」
鳩笛のバイをする寅さん。
本編にも映るが関門海峡を望むことができる赤間神宮である。
ちびとらも寅さんの真似をして鳩笛を吹く格好をしてみた。
ロケ地保存度☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀寺町4
2011年8月訪問
バイが芳しくなく背伸びをする寅さん。
赤間神宮の水天門。
ちびとらの背が短いため縦位置での写真撮影となりました。
ロケ地保存度☆☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀寺町4
2011年8月訪問
ポンシュウが最新式コンピューター占いのバイをしている。
ポンシュウがバイをしていたのは、ちびとらが立っているあたり。
奥の建物はだいぶ建て替わっている。
ロケ地保存度☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
階段の上でポンシュウに歩み寄る寅さん。
竜宮城のようなつくりの水天門。
平清盛の妻である二位尼が安徳天皇を抱えて入水した際に「海の底にも都はあります」と歌を詠んだといわれている。
この歌をもとに、さきの戦争で焼失した赤間神宮を再建・復元された。
ロケ地保存度☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
「さあて、これからどこ行くか?」
「お前のおみくじ、ちょっとやってみるか」
ポンシュウは、直前まで「絶対当たるよ」と呼びこみをしていたが、「当たらない当たらない」と寅さんにいう。
本編では寅さんたちの奥に関門橋が映っているが、現在はビルが立ち並び見ることができない。
ロケ地保存度☆☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
「九州へ行こうよ。筑豊の方へ」
コンピューター占いで南で素晴らしい出会いがあると出てポンシュウを誘う寅さん。
「石炭が出てた頃は良かったけどな~…」とポンシュウ。
関門海峡をのぞむ赤間神宮を現すカット。
ロケ地保存度☆☆☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
「九州か~」
九州へ渡ることを決めた寅さん。
九州での出来事を期待させるシーン。
本編では寅さんの向こうには関門橋が映るが、
現在はビルで見えない。
しかも寅さんは関門橋で九州には行かないのだ。
ロケ地保存度☆☆
山口県下関市阿弥陀町4
2016年7月訪問
下関から門司港へ寅さんが船で渡る間のカット。
関門海峡・関門橋。
このB班ロケは火の山公園の展望台。
ロケ地保存度☆☆☆☆☆
山口県下関市藤ヶ谷
2011年8月訪問
連絡船が港に到着する。
寅さんは関門橋を渡ることなく、連絡船で九州は門司港にやって来たのだった。寅さんらしい旅である。
門司港はかなり整備され、ロケ当時と激変している。
ロケ地保存度☆☆
福岡県北九州市門司区港町9-4付近
2016年7月訪問
キュウシュウと出くわす寅さん。
港の桟橋はここにつながっていたものと思われる。
ロケ当時からの物証は左側に映る春風海運の建物。木で見えないが、左に4軒目に春風海運の建物が現在も残っている。
ロケ地保存度☆☆
福岡県北九州市門司区港町9-4付近
2016年7月訪問
【参考】
春風海運の建物。
文字もうっすらと残っている。
鉄橋を走る列車。
赤池沈下橋の前に移るインサートカットは、現在の平成筑豊鉄道伊田線の遠賀川に架かる鉄橋で、ロケ当時は伊田線だった。
このあと登場する赤池沈下橋のある筑豊本線勝野駅のそばで撮影。
ロケ地保存度☆☆☆☆
福岡県鞍手郡小竹町赤池
2016年7月訪問
川の水面に映る橋。
遠賀川に架かる赤地沈下橋。
(※文字変換のミスで赤池と記載していましたが訂正しました。2021年10月7日)
5年ぶりに再訪したが、このロケ地は晴れた日に行くことをお勧めしたい。とても気持ちが良い場所なので、寅さんが歩いた風景の中で少しの時間でも過ごしたい。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2016年7月訪問
寅さんが橋を渡っていると馬子を乗せた馬がやってきて逃げる。
遠賀川にかかる小竹町赤地の沈下橋。勝野駅の目の前にある。
ちびとらが寅さんの真似をしたが場所が違っているのはご愛嬌。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2011年8月訪問
寅さんは、門司港駅から鹿児島本線、筑豊本線と乗り継いで勝野駅で下車し、この沈下橋を渡ったのだろうか。
そして歩いて南下し飯塚をめざしたものと思われる。
福岡県鞍手郡小竹町赤地
2016年7月訪問
「坊や、飯塚行くのはどっちだ?」
子どもに道を聞く寅さん。
筑豊富士ともいわれる忠隈炭鉱のボタ山をバックに菰田の一角でロケが行われた。
ボタ山を頼りに山の見え方で周辺を探索して発見することができた。
寅さんは既に飯塚市にいるのに飯塚の方角を聞いたようだ。
子どもたちが遊んでいた空き地らしき場所は現在、温泉施設の駐車場となっている。
ロケ地保存度☆☆
福岡県飯塚市菰田102-1付近
2011年8月訪問
路地から現れる寅さん。
飯塚への道を子どもたちに聞いてやってきたのは嘉穂劇場。
路地の向こう側は大きく変わった。
子どもたちが遊んでいた路地裏も駐車場になった。遠くには筑豊富士をのぞむ。
ロケ地保存度☆
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2011年8月訪問
嘉穂劇場を見る後ろ姿の寅さん。
1931年(昭和6年)に開館した芝居小屋である嘉穂劇場は、ロケから17年後の2003年(平成15年)に大雨災害により1階内部を中心に使用不可能な状況に陥った。
翌年、復旧工事が行われた。
ロケ地保存度☆☆☆
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2016年7月訪問
「嘉穂劇場。懐かしいなあ」
嘉穂劇場を見てつぶやく寅さん。
実際には寅さんは一つ上の写真の位置、嘉穂劇場の駐車場入り口に立っていた。
右側の家は建て替わっている。
ロケ地保存度☆☆☆
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2016年7月訪問
「おばさん、通りがかりの者だけど中ちょっと覗かせてくれるかな?」
小屋の前を掃除しているおばさんに声をかける寅さん。
寅さんは無料で見学したが、現在は見学料は300円。
ロケ地保存度☆☆☆☆☆
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2016年7月訪問
小屋の中に入ってくる寅さん。
嘉穂劇場を訪れるのは5年ぶり。
前回は寅友であるいちごさんに飯塚、伊田をご案内いただいた。
ロケ地保存度☆☆☆☆☆
福岡県飯塚市飯塚5-5-23
2016年7月訪問
「おじさん、昔からここで働いてるのかね?」
「まだ炭鉱が盛んだった頃、俺もよくここへ来たもんだよ」
炭鉱景気に沸いた当時を思い出して話をする寅さん。
1950年代のことだろうから寅さんは20代の時の話をしていると思われる。
最盛期には飯塚には10万人以上の人口があり嘉穂劇場のほか、多数の映画館などの娯楽施設があったという。
嘉穂劇場で観たという勧進帳の話になり、小屋のおじさんに真似事をさせる寅さん。
昭和38年に嘉穂劇場で勧進帳を観たという寅さん。ただ、この頃はすでに筑豊の炭田も斜陽化していた時期なので、景気が良かった頃の話とは別の話だと思われる。
寅さんは、坂東鶴八郎のことを聞いたが、亡くなっていることを知る。
炭鉱住宅。奥にボタ山。
宮若市にある旧貝島大之浦炭鉱住宅。
曲がり角や道路奥のカーブミラーなどの見え方が本編と一致する。
5年前に筑豊に来た際には、画像を見せて聞き歩いたが発見できなかった。
ロケ地保存度☆☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
炭坑節のメロディーとともに炭鉱住宅のインサートカットが続く。
門司港から九州へやって来た寅さんが筑豊に入って最初にたどり着いたのは赤池沈下橋だった。この炭鉱住宅は、飯塚から離れて赤池沈下橋に近い場所にあった。
ロケ地保存度☆☆☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
炭鉱住宅へやってくる寅さん。
ちびとらの左側の道はロケ当時はなかったようだ。
左側の家の並びは面影が残る。
ロケ地保存度☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
亡くなった坂東鶴八郎の家を訪ねる寅さん。
四国(ロケは三浦半島)で宿まで大空小百合ちゃんに送ってもらったり、甲州や長崎の旅先でばったり会ったり、別所温泉で大宴会して無銭飲食宿泊で警察にごやっかいになったりした思い出のある坂東一座。
炭鉱の斜陽化とともに寂れてしまった炭鉱住宅だが、なんともいえないシーンだ。
坂東鶴八郎の家の場所を聞く寅さん。
聞いた目の前が坂東鶴八郎の家であった。
そして、ロケ当時の雰囲気そのままに家は現存していた。外装は補修されているものの同じ形で残っていたのには感動だった。
道を聞いた畑仕事をしていた女性がいた場所は現在家が建っている。
坂東鶴八郎の家を見る寅さんの後ろ姿。
緑に覆われるようになったボタ山は手前に木があって見えなくなっている。
この後、寅さんはオートバイの音を聞く。
ロケ地保存度☆☆☆☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
オートバイが炭鉱住宅に帰ってくる。
近所の人に挨拶をしている。
シリーズを見てきた者には運転しているのは誰なのか分かっている。
寅さんを「先生」と呼んだあの大空小百合ちゃんだ。
ロケ地保存度☆☆☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
オートバイが角を曲がってくる。
寅さんが家を尋ねた人が畑仕事をしている。
寅さんが炭鉱住宅にやってきたカットで映るのが画面左奥の建物がある場所。
この角付近でほとんどの撮影が行われている。
ロケ地保存度☆☆☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
オートバイが家の横にいた寅さんの脇を通り過ぎて敷地に入っていく。
この時点で大空小百合ちゃんは寅さんに気づくはずだ。あんな格好をした人はまず滅多にいないし、覚えているはずだし覚えていてほしい。
しかし本編では、「何か用事?」とくる。
ロケ地保存度☆☆☆☆
福岡県宮若市鶴田
2016年7月訪問
「失礼だけど座長さんの娘さんかい?」
「ということは、もしかして大空小百合っていう芸名で可愛い声で歌歌ってたんじゃないか?」
寅さんはしっかり、この人は大空小百合ちゃんだとピンときて話をしているが、小百合ちゃんの方はあまりにも反応が普通ではない。
シリーズを見続けてきた者向けの脚本ではない気がする。
「それじゃ俺のこと覚えてないかな?お前のおとっつあんとよくね酒なんかを飲んだことがあるんだよ」
信州・上田で大宴会をした話をしている。(第18作)それ以外でも何度も会っているのだから、大空小百合ちゃんの当時の性格や寅さんへの親しみからしてもどうもこの反応はシリーズを見続けてきた者にとっては残念に映る。
奥の家はほぼそのままに残っている。
寅さんが宿泊している旅館かどや。
美保が紹介したのは、嘉穂劇場の隣にある旅館だった。
かどやは現在、取り壊されており、右側の空き地にあった。
左側には本編にも映る若鳥がある。
ロケ地保存度☆☆
福岡県飯塚市飯塚2-24
2016年7月訪問