第14作 ロケ地マップ

埼玉県 秩父市

冒頭の夢のシーン。

 

雲海が発生することで知られる埼玉県秩父市。その撮影スポットの美の山公園の黒谷展望所でロケ。両神山、二子山など埼玉県秩父市の山々を映している。

「男はつらいよ」のロケは、埼玉県、富山県、高知県で行われていないというのが定説だった中、大きな発見だった。

レポート埼玉県でロケがあった!

 

埼玉県秩父市黒谷

2021年10月訪問

群馬県 富岡市

メインタイトルバック。

 

妙義山の見え方などからこの付近だと思うが、高田川の流れ川岸も変わってしまっているのでピンポイントは分からなかった。

 

※11年の時を経て、ほぼピンポイントでの撮影に成功しました。↓の写真をご覧ください。(2022年1月追記)

 

群馬県富岡市妙義町上高田7−2付近

2010年5月訪問

寅友・寅福さんの解明により、ほぼピンポイントの写真を撮影することができた。

 

妙義周辺は東京から比較的行きやすく、日帰りも可能なので、6度目の訪問となった。

最初の訪問(上の写真)から11年。長年の課題を解決できた。

 

川端橋から河原に降りて撮影。

 

群馬県富岡市妙義町上高田7−2付近

2021年4月訪問

【参考】 寅さんがいた祠・小屋は?

ちなみに、寅さんが夢から覚めて川魚を食べる祠・小屋は残念ながら無かった。

 

祠・小屋はセットなのかもしれない。

ロケ当時の航空写真を確認してもどうもそれらしいものがない。

 

ただ、メインタイトルバックの映像を見て、その位置付近を探してみると、馬頭観世音の碑があった!

祠はあってもおかしくない場所にセットを組んだのかもしれないと思った。

 

「私、生まれも育ちも葛飾柴又です」

「姓は車、名は寅次郎。人呼んでフーテンの寅と発します」

車 寅次郎、さくらのテロップ。

 

妙義山をバックにすすきの中の土手を歩く寅さん。

メインタイトルバックの対岸で撮影。

かなり雑草が生い茂り、危険もあったので、このあたりまでが限界だった。

 

群馬県 安中市

田んぼのあぜ道を歩く寅さん。

俯瞰での撮影で手前には祠の屋根がある。

 

次のカットで2013年に発見することができた小日向にある祠のそばを寅さんは歩いていた。

 

こちらは寅友・寅福さんが発見してくれた。

第14作オープニング② | 男はつらいよ 飛耳長目録 (teacup.com)

 

群馬県安中市松井田町小日向1158−4付近

2021年4月訪問

小さな祠にお参りする寅さん。

 

小日向の農道のそばにひっそりとある祠。

この後出てくる寺を発見した際に近くを探索したところ見つけることができた。

 

※この祠は実はこの前のカットで映っていた屋根だったのだ!この祠は10数メートルほど移動していた。(2022年1月追記)

 

群馬県安中市松井田町小日向

2013年3月訪問

 

祠の前あたりを歩く寅さん。

 

ちびとらが立つ左側に見える青い屋根が祠。

田んぼのあぜ道を歩くシーンからこのカットまでは一連の流れだった。

祠は移動しているので本編(ロケ当時)ではもう少し奥にあった。

 

ロケから47年。道路も舗装され農村だったこの場所も面影はあるものの大きく変わったことが分かる。

 

寺。黄色く紅葉しているもみじ。

 

松井田町小日向にある成就院。

 

群馬県安中市松井田町小日向1874付近

2021年4月訪問

寺門に座っている後ろ姿の寅さん。

 

松井田町にある成就院。

 

第14作の冒頭に登場する妙義山の麓からは離れた所にあり、見つけるのに苦労した。

寅友の間で未発見のロケ地として長く話題となっていたこの寺。妙義エリア2回目の探索でついに発見した印象に強く残るロケ地だ。

寅さんが眺めた風景もほぼそのままに残り、ひっそりとたたずむ寺だ。

 

群馬県安中市松井田町小日向

2013年3月訪問

 

ざくろを食べる寅さん。

 

本編では成就院の本堂が少しだけ映っているがヒキのサイズで撮影すると実際にはこのような風景になる。

 

第14作のオープニングは不明なロケ地が多数残されている。妙義山麓、その一帯で撮影されているのは間違いがないがヒントが少ないのでなかなか見つけにくいが、寅さんが映っているシーンはいつか発見したい。

 

妙義山に向かって歩く寅さん。

右側に薪小屋、左側に垣根。

 

間に成就院が入っているが、祠のシーンの流れで寅さんが歩いていった方向の近くにある。

 

右側の家の方にお話を伺ったところ、写真右側あたりに確かに薪小屋があったそうだ。

こちらも寅友・寅福さんが発見された。

道幅が広くなったので妙義・金洞山が見えやすくなっている。

 

木造の橋に座っている寅さん。

 

九十九川にかかる橋。

現在、橋は撤去され、少しだけ上流に新しい橋を建設中だ。

 

かつて橋がここにかかっていたことが分かる跡。

 

群馬県安中市松井田町高梨子467−3

2021年4月訪問

 

帽子を川に落として追いかける寅さん。

 

川の石垣や堰が当時の雰囲気を残している。

 

 

 

 

東京都 足立区

 

博が工場で怪我をして治療している病院。

外科などの看板。

 

京成関屋駅、東武伊勢崎線の牛田駅そばにある吉田医院。

 

看板の右側に木があるため少しだけずらして撮影した。

 

東京都足立区柳原1-31−14

2022年1月訪問

佐賀県 唐津市


九州 唐津のテロップ。

唐津くんちが行われている神社の参道の俯瞰。

 

こちらは現在、高羽アングルのピンポイントは撮影が困難なため、角度が違うが別のビルの屋上から撮影した。

唐津くんちのシーンは、短いカットが重なっています。基本的に本編キャプチャを貼ることは当サイトでは行っていませんが、この一連のシーンはキャプチャがないとロケ地の紹介も分かりづらいと思われますので、あえてキャプチャを貼らせていただきました。

 

商店街を練り歩く唐津くんち。

 

大きく変貌を遂げた中町商店街でロケが行われた。

 

本編左側に少し切れて映っているサンエー、正面のアーケードを手がかりに証言も得て発見した。

 

佐賀県唐津市中町1879-1

2016年8月訪問

クラブひろこの看板のある建物の前を通る唐津くんち。右に曲がっていく。

 

このカットはT字路らしいのが手がかりだった。クラブひろこの建物は変わっていたが、曲がり角の右側の家が物証となった。

 

この後、出てくる橋が写真の正面道路向こう側にある。

 

佐賀県唐津市京町1733-1

2016年8月訪問

 

唐津くんちが曲がっていく。

 

曲がり角の左側の家はロケ当時とほぼ変わっていない。その並びの向こう側の建物はだいぶ変わっているが、道路の奥に見える山の形も物証の一つとなった。

 

クラブひろこの建物の前の唐津くんちは、この後、本編にもう一度登場する。

 

右側の角にたばこ、宝くじ、牟田商店と書かれた店のある交差点を通る唐津くんち。

 

中町商店街にある牟田商店の前で撮影。

 

ちびとらが立っているのが牟田商店の前。

ご主人にロケ当時のことをお聞きした。

 

佐賀県唐津市中町1513-3

2016年8月訪問

 

鯛の文字が大写しになり、曳子たちがアップで映る。

 

市内を流れる川にかかる橋のたもとで撮影。

 

この後、この場所はもう一度出てくる。

唐津くんちの一連のシーンはいくつか同じ場所で撮影されている。

 

佐賀県唐津市魚屋町1997付近

2016年8月訪問

 

商店街の交差点を曲がってくる唐津くんち。

右側がパン洋菓子店、左側が玉置という屋号の店舗。

 

地元の方の証言により見つけることができた。

上記の②と同じ交差点で別方向から撮影している。

 

佐賀県唐津市中町1513-18

2016年8月訪問

 

④と同じ橋を渡る唐津くんちの俯瞰。

 

橋手前左側にあった食堂「かき船…」は建物自体なくなっている。

橋向こう側の左側の建物は外壁は補修されているがロケ当時とほぼ同じだ。

 

佐賀県唐津市魚屋町1997付近

2016年8月訪問

 

「さあ、ものの始まりが一ならば…」。

寅さんのバイの声が聞こえてくる。

鳥居をくぐる人々、境内を歩く人々、露店。

 

唐津神社。

 

ちびとら立っているあたりはポップコーンだろうか、露天に子どもが立っていたあたり。

鳥居が新しくなり位置が変わっている。

 

佐賀県唐津市南城内3-13

2016年8月訪問

 

ピンク色の動物の置物を手にバイをする寅さん。

 

こちらは境内に上がったところにある鳥居のあたり。

 

寅さんのバイ、口上が続く。

 

実は唐津神社には2011年8月にも訪れているが、その時は本編アングルをあまり意識せずに撮影してしまった。

ちびとらも車で昼寝をしていた。

 

寅さんの後ろに少しだけ映る建物は唐津市民会館だ。

 

 

唐津くんちが橋を渡る。

 

くんちが渡っているのは新大橋。

新大橋の向こう側の建物は大きく変わった。

 

右側の石垣は唐津城の三の丸辰巳櫓。

本編に櫓が映っていないのは、ロケ当時にはなかった櫓を平成四年度に復元したからだ。

 

佐賀県唐津市大名小路6-26

2016年8月訪問

佐賀県 唐津市 呼子

 

呼子港の俯瞰。呼子港のテロップ。

 

この俯瞰は高羽アングルのピンポイント。

撮影させていただいた建物の所有者の方に証言を得た。

一番手前の屋根はロケ当時、旅館だったが今は別の建物が建っている。

 

佐賀県唐津市呼子町呼子

2017年4月訪問

 

お地蔵様を見ながら歩く寅さん。

 

寅さんが呼子の街へやって来たこのシーンは呼子港の西岸側でロケ。

現在、この写真を撮った側(手前側)にお地蔵様がある。道の反対側に移動したのだろうか。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1672−2付近

2017年4月訪問

 

カメラはパンして寅さんの歩き。

 

雑草で分かりづらいが、寅さんの奥にある坂道が見える。

「ごめん、ごめんよ」

ストリップ小屋の隣の店に立ち寄る寅さん。

 

左側がストリップ小屋、右側がアンパンを買う店のあった場所。

その間の扉が舟着き場への道(スプライトの看板があった)だ。

酒屋さんの位置でストリップ小屋の位置を見つけ、家のご主人の方の証言で発見した。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1603付近

2011年8月訪問

 

アンパンを買う寅さん。

その後ろに映る家。

 

お店のおばちゃんはこの家から出てくる。

この家の玄関にも飲み物の冷蔵庫らしきものがあったので、この家は店兼自宅だったのだろうか。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1603付近

2011年8月訪問

 

寅さんがアンパンを買うため店に入る。

 

周辺の家はほぼ改築されているが、左側の家など雰囲気を残しており、右側の酒屋もある。

 

アンパンを買った店の場所は駐車場になっていた。渡し舟の看板があったのが茶色の扉のところ。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1603付近

2011年8月訪問

 

船着き場でアンパンを食べる寅さん。

 

現在は渡し船もなく、船着き場も使用していない。

そのためこの場所も変化しているので、本編アングルでの撮影はできなかった。

 

しかし船着き場の跡を見つけることができ、このロケ地に立てたことは感慨深い。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1603付近

2011年8月訪問

 

寅さんがアンパンを食べていると船着き場に赤ん坊を抱いた踊り子と赤ん坊の父親がやってくる。

 

※許可をいただいて撮影しました。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1603付近

2011年8月訪問

 

赤ん坊と父親が渡し船に乗って離れていく。

見送る寅さんと踊り子。

 

良く見ていただくと分かるが対岸の建物もいくつかロケ当時のままに残っている。

 

ロケ地保存度☆☆☆

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1603付近

2011年8月訪問

 

船着き場で語りながらアンパンを食べる寅さんと踊り子。

 

高羽カメラは船の上からか。

現在は護岸も変化しこのアングルが限界だった。

 

しかしロケ地を撮影していると、本編のシーンが目に浮かぶようだった。

 

 

2度目の訪問となった2017年4月、高羽アングルでの撮影に成功。

 

上の写真と大きく変わったのが、階段の下の護岸が工事で埋め立てられ、遊歩道となっていることだ。

 

茶色い家が「守れ!港内スロー」と書かれた場所。

その奥が通路と渡し舟の船着き場。

 

2017年4月訪問

 

馬渡屋に逗留した寅さん。

赤ん坊、父親と同宿となる。

呼子港の朝。

 

呼子のストリップ小屋の前の船着き場を出た寅さんと赤ん坊、父親はまだ呼子にいるのだ。

その日は対岸に渡っただけだったのだ。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1672−2

2017年4月訪問

 

 

呼子港の朝。

 

いか本家の店舗前のカーブのあたり。

 

佐賀県唐津市呼子町呼子3086−2

2017年4月訪問

 

呼子港の朝。

出港する船。

 

前のカットとほぼ同じ場所から、先ほどとは逆に右の方向(沖の方向)を映している。

 

対岸の崖面などもロケ当時の雰囲気のまま。

 

朝の呼子の風景。

 

左側の大村屋旅館の看板は「大村や」に変わっているが建物はロケ当時のままだ。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦1659付近

2011年8月訪問

 

東京都 江戸川駅

 

夜勤明けの京子が金町まで買い物に来たついでに柴又のとらやを訪ねた後、家へ帰る。

京成の江戸川駅の階段を降りてくる。

 

江戸川駅はロケ当時と構造が変わり、現在の駅

(写真を撮影している側)が京子が降りてきた階段があった所ではない。

 

東京都江戸川区北小岩3-24

2020年6月訪問

 

公開翌年1975年の航空写真を確認してみる。

江戸川駅の高架ホームから地上への下り階段は現在とは逆側の西側にあったことが分かる。

前作、第13作のメインタイトルバックや途中に出てくるシーンでは江戸川駅そばの土手がロケ地となっているが、京子のアパートも含めてとても近い場所でロケが行われた。

東京都 江戸川区 北小岩

 

京子が自宅に帰る。アパートの階段を上がってくる。

土手の下で遊ぶ子どもたち。

 

京子の自宅の発見についてはこちらの記事をご覧ください。

新発見!京子の家

 

東京都江戸川区北小岩4-37付近

2021年1月訪問

東京都 足立区

 

赤ん坊の具合が心配だと病院に連れて行こうとするも赤ん坊を忘れて手ぶらでやって来た寅さん。

京子が退院する人を見送って玄関から出てくる。

 

博、赤ん坊がお世話になった吉田医院。

 

東京都足立区柳原1-31−14

2009年9月訪問

 

 

京子が働く姿を見ている寅さん。

 

線路のガード下をくぐって吉田医院とは反対側の角、注意桁下1.7Mの文字の所に寅さんは立っていた。

このガードは京成ではなく、東武伊勢崎線。

 

 

 

京子が退院した患者を見送り背伸びをしたのを見て同じように体を動かし、この場所を後にする寅さん。

ガードの向こうには吉田医院。

屋上に看護婦さんが1人立っている。

 

東武伊勢崎線は安全防音柵が付けられたので、吉田医院が見えなくなっている。

柳原銀座商店街から聖和幼稚園に向かう寅さんとさくら、源ちゃん。

 

柳原銀座商店街の看板は柳原千草通りになっていた。

 

3人は、京成関屋駅とは反対方向から歩いてくるので、道にでも迷ったか…。もしくは京成を使わずに北千住駅から来たのか…。

 

東京都足立区柳原1-26−1

2009年9月訪問

東京都 京成関屋駅

 

京成関屋駅。

「一家心中のあったアパート。その裏っ側の緑色の建物。窓にパンダ」という京子の説明を聞いて、コーラスの練習をめちゃくちゃにしてしまったお詫びに寅さんがやって来る。

 

右側に立ち食いそば屋が見えるので駅北側。

立ち食いそば屋は雑賀屋本店。

 

東京都足立区千住曙町2

2020年6月訪問

東京都 足立区

「ほ~、緑色。窓にパンダか」

弥太郎のアパート前にやって来た寅さん。

 

千住の労働者である弥太郎の家は、京成関屋駅そばの京成線の線路脇。

 

ちびとらが立っている左側の建物がロケ当時は和可奈寿司だったことは、寅友の彰さんが和可奈寿司の女将さんだった方の証言を得ている。

 

 

東京都足立区千住曙町14

2020年6月訪問

 

「おい!青年!コーラス団の団長!」

パンダのある部屋に向かって声をかける寅さん。

 

弥太郎の家は吉田医院のすぐそば。京子の職場と弥太郎の家はすごく近かったのだ。

寅さんが京子の仕事ぶりを吉田医院に見に来て立ち去ったその方向に弥太郎の家がある。

 

そのため寅さんも土地勘があってすぐこの緑色の家を見つけたのかな…? 

 

 

「ちょっと話あんだけどな」

弥太郎の家を見上げて話しかける寅さん。

バックでは京成線が関屋駅方向に走っている。

 

寅さんが弥太郎の家にお詫びに来る前に、さくら、京子と話す喫茶店は、恐らく京成関屋駅のそばだったのだろう。

また、寅さんは喫茶店を出て酒屋で一升瓶を買って弥太郎の家にやって来た。

 

 

「これは身の程知らずだぞ、青年!」

弥太郎の家で今日の写真を発見した寅さん。

写真を窓から落としてしまう。

 

部屋の位置などロケ当時とは違うと思うが雰囲気で撮影。

 

東京都 京成関屋駅

 

京子が京成線を降りる。

 

京成関屋駅のホーム。

京子が乗ってきたのは上り方面(上野方面)の列車。

 

本編では煙突などが映る。かつては工場などが立ち並ぶエリアだった。

 

東京都足立区千住曙町2

2009年9月訪問

 

京成関屋駅の看板。

その向こう側のホームから京子が地上を見る。

 

駅の看板は、寅さんが弥太郎の家を訪ねた時とは逆方向から撮影。

京成関屋駅は高架になっている。

 

2020年6月訪問

 

弥太郎が歩いてきて、立ち食いそばを食べている知り合いと会話する。

 

ロケ当時、かけそばが100円だった立ち食いそば屋は訪問時、富士三屋だった。

 

弥太郎は自動販売機で何か飲んだのか、口元を吹いているが、飲んだ後の缶を路上に捨てているように見える…。

 

2009年9月訪問

京子が弥太郎を待つ階段。

弥太郎は歌いながら階段を上がってくる。

瓢箪から駒のシーン。

 

ロケ当時は駅も木を使っていたし、階段だけだった。今ではエスカレーターもできた。

 

京子がお昼休みと言っているが、吉田医院は関屋駅のそばなので京成線に乗ってきたのは謎が残る…。

 

2020年6月訪問

佐賀県 唐津市 呼子

 

さくらが合唱団の新年会に参加すると、京子宛に寅さんからの年賀状が届いていた。

寅さんは大宰府から年賀状を送っていた。

そしてシーンは呼子港の渡し舟へと変わる。

 

佐賀県唐津市呼子町呼子3753−1付近

2017年4月訪問

 

 

 

 

 

渡し舟の船着き場に座っている寅さん。

 

呼子港の東岸、呼子朝市の行われる場所への入口付近に船着き場があった。

 

渡し舟は現在は運航しておらず、寅さんが座っていた船着き場の階段も無くなっている。

 

佐賀県唐津市呼子町呼子3753−1付近

2017年4月訪問

 

渡し舟に乗ろうとする寅さん。

西岸から渡し舟に乗ってきた買い物に来た女性が舟を下りる。

 

「おじさ~ん、待っちょって~」という声がする。

聞き覚えのある声に振り向く寅さん。

 

2017年4月訪問

 

ストリップ小屋の踊り子が赤ん坊を背中にやって来る。

 

踊り子のバックに映っていた家は無かった。

※2011年の訪問時にはあったので、下の写真をご参照ください。

 

グレーの建物は踊り子のバックに少しだけ映る白い建物の場所で、現在の山田整形外科クリニック。

 

2017年4月訪問

「ところで、この子の父親はどうしているんだ?」

「いるばい、あそこに」「一緒に暮らしてるさ」

 

寅さんと踊り子のバックに乗りこんだ船着き場方向が映る。対岸から撮影。

船着き場の場所の物証となる呼子朝市入口脇の家が2011年訪問時にはあった。

その右側の家3軒はロケ当時のままだった。

 

2011年8月訪問

踊り子が「お父ちゃ~ん」と呼ぶ。

船着き場には赤ん坊の父親がいる。

 

対岸から撮影した。

船着き場の左側の大きな茶色い建物はロケ当時、造船所だった。船着き場の階段はそのまま残っていた。

船着き場だったあたりは現在、遊歩道になっている。ロケ当時の雰囲気を残す貴重な写真となった。右側が高羽アングルより切れている。

 

佐賀県唐津市呼子町殿ノ浦

2011年8月訪問

 

呼子港の俯瞰。

寅さんと赤ん坊、踊り子を乗せた渡し舟が赤ん坊の父親の待つ船着き場へ向かっている。

終のテロップ。

 

※こちらのカメラピンポイント位置ですが、特別に許可をいただいて撮影させていただいたので、非公開とさせていただきます。

 

佐賀県唐津市呼子町呼子

2017年4月訪問

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