2022年
5月
11日
水
第30作で三郎青年が母・ふみを供養するのが大分県杵築市にある養徳寺です。
ちびとらが養徳寺を訪れたのは、九州を旅した2018年8月でとても暑い日でした。
ロケ地の旅 第30作のページで、おふみさんの墓の位置などの詳細を紹介していますのでご覧いただけましたら幸いです。
養徳寺への訪問では、三郎青年が車で養徳寺を後にするシーン(寺の最後のシーン)の高羽アングルのピンポイントを新発見することも目標にしていました。
養徳寺では、ちびとらの突然の訪問にもかかわらず、快くご案内していただいただき、ロケ当時の貴重なお話も聞くことができました。
さらに本編に関わる面白いエピソードもうかがいました。
本堂にご案内いただいたので、本編のキャプチャ画像をお見せすると、ロケのことを懐かしそうに思い出されていました。
三郎青年が車で寺を後にするシーンは、養徳寺でロケが行われたそうです。
ロケ地の旅のページにも掲載していますが、ほぼこのアングルが本編の高羽アングルとなります。
もう少しカメラ位置は後ろに下がった所になるかと思いますが、現在は撮影が難しくなっています。
ちびとらの立っている目の前に通路があり、三郎青年の白い車が停まっていました。
木々が成長して見えづらくなっていますが、右側に屋根があり、それが本編に映る養徳寺の本堂です。
本編には手前で農作業をする人が映っています。
このことを聞くと貴重なエピソードが!
この畑は大根畑で、映っているのは寺に住みこみされていた方だったそうです!
「源ちゃんみたいな方だったんですね!」とお話ししました。
そして、三郎青年の車の奥に映っている鐘楼。
こちらは現在は取り壊されています。
こちらの写真の右側に土台があるのが確認できます。
鐘楼があったのはその場所になります。
ですので、石垣の右側にある道に三郎青年の車が停まっていたわけです。
三郎青年が車で寺を後にするシーンは、ここでロケが行われていたことが証言と物証で確定しました。
また、養徳寺を含めて、ロケのお話が紹介された大分の新聞も見せていただきながら、貴重なお話が続きました。
三郎青年が養徳寺を出て、螢子と再会する前に道路に立っている黒い服の女性。
この方、養徳寺の住職の長女さんだったそうです。そして大切そうに持っていたバックは沢田研二さんの大ファンだった友人の方のものだったとのことです。
沢田研二さんの人気ぶりを垣間見ることができるエピソードですね。
そして、最後にとても面白いエピソードが!
養徳寺での三郎青年の母・ふみの供養のシーンに出ているのは、養徳寺の住職さんだったそうなんです。顔も本編で少し映ります。こちらのシーン、本物の住職さんが登場していたんですね!
一方、前夜の湯平温泉の湯平荘での供養では、寅さんが宿の主人に「坊主の知り合いいねえか?こっちの我がままを聞いてくれるような…」と言って、ふみに惚れていた坊主を呼んできます。
この坊主がお経を読んだわけですが、こちらを演じているのは殿山泰司さん。
寅さんがご焼香の際に間違って熱い抹香を触ってしまい、坊主に飛ばして螢子たちが大笑いする対照的なシーンがあります。
そして、殿山さんがお経を読むシーンですが、口を少しだけ動かしているのが映る正面からのシーンが短くあるだけで、他は後ろ姿などばかりです。
実はこのお経、養徳寺の住職さんが読んだお経だったそうです!
寺の方の証言を聞いて、その後、本編を見返してみて、音声をインサートしたのだと納得しました。
螢子たちが、「お経!どこかしら?この旅館よ!」と言っていましたが、その声は養徳寺の住職さんだったのです。
2022年
1月
01日
土
2021年
12月
12日
日
第9作「柴又慕情」では寅さんが歌子たちと出会い、みそでんがくをご馳走したことをきっかけに記念撮影をすることになります。
そこで御前様が第1作で間違えた「バター」を第8作のお墓のシーンに続いて、寅さんが繰り出します。そして、大笑いする歌子たち3人との楽しい旅のひと時が始まります。
寅さんと歌子たちが出会ったのが、今は廃線となった京福電鉄永平寺線の京善駅です。
ちびとらが訪れたのは2013年の夏の旅。
(※その時の様子はロケ地の旅のページをご参照ください。ロケ地の旅 第9作)
この京善駅のシーンでは列車が出てきません。
そもそもこの京福鉄道永平寺線は歌子たちが線路を歩いているシーンやこの京善駅が出てきますが、列車が出てこないのです。
(※写真:歌子たちが線路の上を歩いていたロケ地である京福電鉄永平寺線の荒谷踏切付近)
本編では北陸で2つの列車を見ることができます。
1つは、オープニングで寅さんが夢から覚める尾小屋鉄道の金平駅は牛乳を積んでいる軽便鉄道が登場。
もう1つが、寅さんと歌子たちが別れた京福電鉄越前本線。東古市駅では夕暮れに停まっている列車、寅さんを残して東京へと帰っていく歌子たちを乗せた列車が登場します。
いずれもしっかりと列車が出てくるのに永平寺線は出てきません。
京善駅で印象的なのは、寅さんが休んでいたところで歌子たちが入ってきた戸枝屋という茶店ですね。
京善駅(跡)を訪れた際、現地である写真を見せていただくことができました。
その写真がこちら。
寅さんと歌子たちが出会った戸枝屋!
一度、この目で見てみたかった!
そして、しっかりと永平寺線の姿が!
本編では、北陸での3つ目の車両として登場しなかった今は廃線となった永平寺線!
子どもたちが登下校で使っていたんですね。
実は第9作「柴又慕情」では多くの鉄道が登場します。
オープニングタイトルバックの常磐線。
歌子が柴又から帰る時の京成線。
そしてインパクト大なラストシーンの中央本線のSL。
そして北陸で登場する尾小屋鉄道、京福電鉄越前本線もあります。
ここに永平寺線が登場してしまうと過多だったのでしょうか…。
この写真を見ることができて本当に良かったです。
撮影していただいた方、そしてお見せいただいた方に心より感謝いたします。
ロケ地に行くと、さまざまな発見、出会いがありますね。
ということで、今日はこの辺でお開きということで…。
ちびとらはこれからも旅を続けます。
2021年
11月
16日
火
「岩木山知ってるか?」。
第7作・奮闘篇で花子が柴又の土手で寅さんに聞きます。
岩木山は、青森県弘前市、西津軽郡鰺ヶ沢町にある標高1625メートル。青森県の最高峰の山です。
花子はこの岩木山を見て暮らしていました。
寅さんから葉書が届き、心配したさくらが青森県を訪れます。
さくらを乗せた五能線は、岩木山に向かってりんごの木の中を走っていきます。
このロケ地を訪問したのは2014年の夏の旅です。
事前の探索でおおむねの位置を確認して現地へ到着。
りんご園の農家の方が作業をしているところを訪れ、事情を説明して園の中に入らせていただきました。
農家の方は作業を止めて、わざわざ案内してくれました。
このロケ地のポイントは3つ。
・岩木山が見える風景
・五能線のカーブ
・りんごの木
ここで間違いありません。
ただ残念ながら雲が多く、岩木山はうっすらと見えているだけでした。
見えていれば絶景なんでしょうね。
第7作は春作品で4月公開。
ロケは2~3月頃に行われたのでしょうか。
本編に映るりんごの木は枝だけですが、ちびとらが訪れたのは夏ということで緑いっぱいの風景でした。
そして、カーブに差し掛かる手前には線路脇に標識らしきものが見えます。
まさか、りんごの木の切り株ではないと思いますが…。
農家の方もりんごの木をそんな場所に植えることはない、と仰っていました。
この標識らしきものはあるのでしょうか?
農家の方がいっしょに探してくれました。
すると…。
ありました!
草の中にまみれていましたが、ほぼ同じ位置に!
ロケ地は、この場所であることに間違いないので、列車が通過する瞬間を狙って撮影!
最後に農家の方にお礼を言って失礼しようとしたところ、なんと、もぎ立てのりんごをお土産にいただきました!
とても美味しいりんごでした!
どうもありがとうございました。
ということで、今日はこの辺でお開きということで…。
ちびとらはこれからも旅を続けます。
2021年
11月
16日
火
第6作・純情篇の冒頭、食堂でテレビ番組を見て故郷・柴又を懐かしみ、寅さんが柴又に電話をします。
博「今、どこですか?兄さん」「え?遠いとこ?」
おいちゃん「うそだよ。すぐ近くにいるんだよ」
おばちゃん「そうだよ。駅前あたりじゃないかい?」
博「兄さん、近所にいるんじゃないんですか?」「え?山口県?」
寅さん「これから九州行くところよ」
という電話での会話でした。
さて、寅さんが電話をしたのは山口県ということですが、この駅はどこなのでしょうか…?
これが今回のテーマであり、結論として神奈川県であることが判明し、先日訪問してきたレポートです。そして、前回の記事で書いていたもう1つのロケ地判明というのはこちらのことです。
このテーマについてですが、実はちびとらは数年前から探索を続けてきました。
今回、結論を出すに至ったプロセスは3つありました。
その1つ。ここに1枚の写真があります。
こちらは「男はつらいよ フーテンの寅さん25年の足跡」という本の中に掲載されていたものです。
このシーン、まず写真が古い。つまり初期作品のロケと思われます。しかし、どの作品を見てもこのシーンは出てきません。
しかも夜っぽい。
この段階から、第6作の電話のシーンの時に撮られた写真なのではないか?という可能性を探っていました。
そして、この写真の注目点。
上の切符の料金表です。
社家、厚木 40円
相武台下、下溝、原当麻 80円
このように書かれています。
これらの駅は神奈川県の相模川に沿って走る茅ヶ崎駅から橋本駅を結ぶ相模線の駅です。
そして、寅さんがいる駅は、社家、厚木駅に近く、相武台下駅からは遠くなるということです。
さらに社家の下には30円という駅が存在し、下の文字から何となく門沢橋と書かれているようにも見えます。
相模線の路線図の一部です。
相 厚 社 門 倉 宮 寒
武 ~ ー ー 沢 ー ー ー
台 木 家 橋 見 山 川
下
ということは、寅さんの写真が撮られたのは倉見駅、宮山駅や寒川駅があやしい、ということになります。
ただ、この時点では、第6作があやしいがそのロケだということまでは確定できない、ということでした。あくまでも写真が撮られた駅ということです。
そして、第2の過程は昨年2020年の年明け早々のことです。
ちびとらのサイトをご覧いただいている Hさん という方からメールをいただきました。
書かれていたのは、
昭和40年代に寒川駅を出たところのキオスクの公衆電話
での寅さんの撮影の情報でした。
まさにシーンとしては第6作の電話のシーンそのものですね!
そして寒川駅!
第1の過程と情報が完全に一致。
第6作のシーンは寒川駅に間違いないのではないか、このように考えるようになりました。
そして、最後の過程。
Hさんのメールから1年9ヶ月。
先日の第14作のオープニングで埼玉県ロケがあったことを補強した撮影の高羽さんが使用した台本です。
福島県湯川村の湯川たから館で、第6作の台本をチェックしました!
そして!
そこには見事に、山口県のある駅前というシーンの上に、高羽さんの手書きで 寒川駅 と書かれていたのです!
3つの過程を経て、長年の疑問が完全に解決しました。
さあこれで最後に残るは現地訪問!
訪れたのは、11月上旬のとある日です。
左:2021年11月 ちびとら訪問時 右:「寒川町の70年」より
右の写真はロケから大分経っていますが基本構図は同じで、駅入り口の脇にキオスクがあり、人が立っているあたりで寅さんが電話していたと思われます。
また、下記↓のサイトにはロケ当時のホームの屋根とキオスクの位置関係がはっきりと分かる写真が掲載されています。非常に貴重な写真ですので是非ご覧ください。
My Station Odyssey 2: 寒川駅(相模線)キハ10 (so4338new.blogspot.com)
さて、冒頭にも書いた電話での会話を思い出してみてください。
「兄さん、近所にいるんじゃないんですか?」 → 近所ではないが、山口県ほど遠くはなかった!
「これから九州行くところよ」 → 寅さんは神奈川県から長崎へ行った!
いうことになりました・・・。
山口県で電話のシーンだけを撮るわけにいかず、大船撮影所から近い神奈川県寒川駅での撮影となったのでしょう。
寒川駅訪問時には、駅近くにあるコムロデンキさんでお話を伺いました。寒川駅北口商店会さんにありました。
駅のホームに寅さんのバックに映る屋根があったこと、駅入り口にキオスクがあったことなど記憶されていました。
貴重なお話、ありがとうございました!
そして、情報をメールでお寄せいただいたHさん、ありがとうございました!
それでは今日はこの辺でお開きということで…。
引き続き、ちびとらは旅を続けます。